2022年10月26日

最近もっぱら晴れ続き。まっすぐでゆるやかな下り坂を自転車に乗って、ほとんど漕がずに前進する。行手にはさらさらの空があり、光があり、清潔な冷気が袖から入って体を通りぬけ、気持ちが良すぎて「もはや人生あがりなのでは?」と錯覚したまま職場に着き、あれこれあり、暗い気持ちで帰宅する。哲学史トークに花咲きまくる輪の中から突然こっちに向けられた「〇〇さんは哲学論集とか読まないでしょ?」の「は」を聞き流せなかった日だ。定時が来たから走って退勤した。

自習室に寄って『テヘランでロリータを読む』を読み進めた。イラン革命後、あらゆる私的な領域に革命防衛隊が侵入し、宗教的正義と道徳の名の下に個人の生が徹底的に抑圧された世紀末のイランはテヘラン、著者であるアーザル・ナフィーシーは優秀な女子学生たちを集めて、ナボコフやフィツェジェラルドなど「反革命的な」文学を共に読み進めた。冒頭、ナフィーシーの家に招き入れられた彼女たちはヴェールを脱ぎ、スカーフをとり、髪の毛やイヤリングやオレンジ色のTシャツや、それぞれの出立ちをあらわにする。その鮮やかさといったら!

手に取った時はやっぱり、現在報道されているスカーフデモのニュースが念頭にあった。『テヘランで〜』を読んでいると、たった20年前に起きていたこととは信じたくないような人々の経験を知る。ピンクの靴下を履くのでさえ「異性を誘惑している」とみなされる。ヴェールの着用を拒否して懲戒免職になる。友人のフィアンセとただ普通に談笑していただけなのに、風紀警察に全員連行されて、丸2日監禁され、処女膜を確認され、犯してもいない罪状で鞭打ちにあう。「鞭で打たれた痛みのおかげで受けた屈辱を紛らわせる」という一節に対して、わたしの想像力はあまりに貧しい。恐怖が至る所に潜む普通の日常とは?そういう状況が今も続いているらしいこと。事実を知っておく必要がある。

つらいことが沢山書かれている一方、読書会で言葉を交わし合う場面の描出は生の希望にあふれ、また文学講義としても優れている。「あらゆるおとぎ話は目の前の限界を突破する可能性をあたえてくれる」から始まる部分など。「さあ土曜日だ」に出てくる先生同様、ナフィーシーは場づくりと観察に優れている。主義思想の合わない相手がいても、その場所では信頼関係が築かれていて、互いの存在を認め合っている。そういう場所を用意できるようにわたしもなれるだろうか。それはともかくとして、面白い。面白くて、今日は特に救われた。

 

 

小中学生のころに感じていた対人関係へのぎこちなさを、自力で克服しきったと思っていたが、全然そんなことなく、昔よりもっとぎこちない。『テヘランで〜』に『ロリータ』のハンバート・ハンバートに関して、他人と他人の真実に対して想像力を行使しない悪、みたいなことが書かれていてヒヤリとした。

2022年10月24日

それで行くと私は、考えていることと感じていることの区別がついていないのかもしれない。それだけじゃなくて、いろんなことを適当に放り込んだまま、どの引き出しに仕舞うか考えないから、あれもこれも失くしていくのかもしれない。よくなるためには方法を考えて、時間をかけて、実践しないといけない。よくなりたい。

2022年10月23日

昨日はちょっと苦しくて、でもなんとか今朝に辿り着いた。出すべき郵便を出した後、本屋と併設のカフェに合わせて3時間くらい滞在したが、このくらいぼんやり佇まないと、本当には考えられないじゃないか、と思った。みんなどうやって物を考えているのだろう、と思った。時の移ろう早さに全然納得していないが、わたしがここで一人踏ん張っても向こうは勝手に流れ去ってしまうので、相手に合わせないと仕方のない場面もある。全然納得はしていない。

『掃除婦のための手引き書』を読み終えたので、いくつか好きな一節を書き出していた。このノートも遅かれ早かれ見失ってしまうと思うから、ここにも一つ写しておく。

 

「わたしはほかにもいろんなことを見のがしてきたんじゃなかろうか。今までの人生で、"正面ポーチ"ではなく"裏のポーチ"にいたことが、はたして何度あっただろう?わたしに向かって発せられたのに聞きそこねた、どんな言葉があっただろう?気づかずに過ぎてしまった、どんな愛があっただろう?」

2022年10月4日

先週の金曜日、公園で昼飯を食っている時、思い立って近場のホテルを予約した。1時間半くらい残業して会社を出ると、既に辺りは群青色でひたひた、星の速さで自転車を漕ぎ、帰宅した。

適当に荷物をまとめて再び家を出、バスに乗る。主要駅の方面へ向かうバスも、20時を過ぎると乗客はまばらで、すんなり席を取れた。来週末に行くつもりだったライブのチケットを取り忘れていたことが発覚したばかりで、やや心が挫けていたが、窓の外を眺めているうちに、後悔してもせんなきことだと思い始める。妙に明るい街中のアーケードも、きらきらしていて、眺める分には良いものだ。

ホテルの部屋で荷物を下ろして、近くにあるサウナの梅湯に向かう。自発的に一人で銭湯に行ったのは初めてだったと思う。最近気づいたことだが、私は風呂が好きだけど、たとえば昼から銭湯に行くとか、温泉地で1日に何度も入るとか、全部のお湯に入って確かめるとか、そこまでではないらしい。そもそも長湯があまり得意でないのだ。梅湯でも早々にのぼせて出てきた。ただ、大きい風呂に浸かるのは気分がいいし、脱衣所の何となくだらけたような雰囲気は心地いいし(梅湯の脱衣所でぼんやり天井を見上げると、黄色や水色のきれいなガラスが貼り込まれていて、つい見惚れてしまう)、風呂の後のコーヒー牛乳はおいしい。帰りにスーパーで酒など買い込むつもりだったが、あまりにも満たされてしまって、麦茶とベビーチーズにした。

ホテルではたくさん本を読むつもりが、期間限定無料公開の報が飛び込み、噂の明日カノを読んでいたら日付が変わってしまった。『イリノイ近景遠景』もいくらか読み進める。なぜか二段ベッドの部屋を取ってしまい、交渉相手はもちろんいないのでいそいそと上のベッドに転がり込む。大きな二つの窓からは向かいのビルが建っていて、ずいぶん深い時間までたくさんの部屋に灯りがともっていた。

 

2022年9月29日

昼は公園で飯を食って、『イリノイ遠景近景』をちょっとだけ読み進めた。「Yはいいとこ」のくだりを読み、確かに今から習えば私も泳げるようになるのかも知れない、クラスメイトの前でみじめな有様をさらすのは恥ずかしくて仕方なかったけれど、今は幸いクラスメイトなんかいないし、他人に見られて恥ずかしがるような感受性も枯れた、それに初心者コースで見ず知らずの人たちと一緒にちょっとずつ上達するのは楽しいかも知れない、考えるほど胸が高鳴った。公園には私一人きりで、昼休みが終わる直前に少しだけブランコを漕いだ。景気づけに。

景気をつけた割に仕事は捗らず、嫌になってほぼ定時に上がった。通っているボランティア先で子どもの愚痴を聞いたり、一緒に踊ったり。楽しい。子どもたちが帰るとスタッフの振り返り会が始まる。これがつらい。私はもう古参といっていい立場なのだが、何にも考えずにただただ遊んできたから、後輩たちの戸惑いや疑問にうまく答えられない。代わりに長老格のスタッフがとても的確なコメントをしているのを聞き、非常に情けない気持ちになる。思いつかないときは無理に言わなくていい、まとまっていなくてもとりあえず投げてみてもいい、振り返りはそういう場所で、重々わかっているけど、そのとりあえず投げてみる、待ってみる、が前より難しい印象。相手が子どもとして接してきた人たちだから、ちょっとわかってる顔がしたいんだと思うね。それなのに上手くいかなくて、帰りのバスで毎度とても落ち込む。

2022年9月26日

上司が本を貸してくれた。給料が増えた。たまたま入った定食屋で、犬をなでたり猫に挨拶したりした。魚料理の中で西京焼きが一番美味しい。刺身で食うより火を通したほうがずっと好きだ。秋の夜に自転車を漕ぐと涼しくて気持ちがよく、いつまでも走っていたい。また涼しくなったことで犬の散歩に出くわす確率が急に上がり嬉しい。友達から連絡が来る。例の通り「終わりだ!」と連呼している。