2023年2月4日

こないだ地域の餅つきに行った。前日までひどい雪だったけどその朝は綺麗に晴れた。外でさぶさぶ凍えながら餅丸めてきな粉つけて、隣にいた友人と「うまそうー」「食べたいねー」って言い合ってたら、向かいにいた40代くらいの大柄な女の人が、我々の付けていたマスクをひっぺがして「さあ食べな!」と笑った。その少し荒っぽいやり方が何故か嬉しくてくすぐったく、マスクを顎に引っ掛けたままで、まだ暖かくてやらかい餅をぱふぱふ食べた。なんかTwitterに書く話じゃない気がしたからこっちに書く。

2023年1月12日

大西寿男さんというフリーの校正者に密着した番組を視聴した。ゲラに指摘を入れる際の線の引き方、文字の囲み方がとても丁寧で、うっとりする。校正が長い時間をかけて鉛筆で疑問を書き込む、それが書き手に届き、検討され、編集の目も通り、それで初めてゲラに反映される、この一連の流れが誠実で、こうあるべきだと思う。が、ここまできちんとした手順で作られる本なんか、限られているだろうとも思う。

2023年1月12日

会社終わり、長らく顔を出していなかったコミュニティにふらっと立ち寄った。そこにいる人にことづけるものがあったので。活動を行っている部屋に入っていくと、ご無沙汰の顔たちが「あー!」とか「だー!」とか「お年玉は!?」とか言ってくる。「こないだ話してたミュージカル、行けてんけど良かったわー」こないだ、と言っても2ヶ月も前の話だ。私もちゃんと覚えてた。髪を染めたりパーマをかけたり、ちょっとずつ容貌も変わっているので、ちょっかいをかけてまわる。みんなに会えて嬉しかったけど、長居せずに帰ってきた。寂しくなる前にこのまま帰ろうと思った。

しかしコロナもある、実際。友人たちの話を聞いていると、自分の職場ではコロナへの忌避感がかなり高いまま維持されていると思う。特に気にしている人は毎日各地の感染者数や死者数を読み上げ、「こんなんじゃ迂闊に飲み会もできないね」と隣の社員に呼びかけ、「本当にそうですね」と相槌が返る。事実このところ首都圏では救急医療が再び崩壊しているようなので、危機感としては間違っていない。社内には高齢者や小さい子のいる社員も複数いるので、流行るとちょっと怖い。私も可能な限り気をつけようと思っている。思っているが、それはあくまで私の責任の範囲においてであって、社外での行動制限を受ける筋合いはないはずだと思う。けれど、毎日通う社内の雰囲気が不文律のように身に染み込んで、会社を離れてからも、なんとなく行動選択に他律的な力が加わるのを感じる。大勢の飲み会にいっては「ならない」、不必要な帰省は「すべきでない」。誰も明示的にそうと言ったわけでもないのに、なんとなく声が聞こえてくる。この感じがたまらなく居心地悪い。

また、この3年間(3年か…)散々言われてきたことだが、たとえ親しい間柄においてもコロナ観が全然違う場合があり、難しい。特に最近は、多くの人間がワクチンの接種を複数回済ませ、また自分と同世代の人間はかかってもそう酷くはならないと言われてもいる状況で、何となくだが、「コロナに気をつけないと」と言いづらい感覚を覚えることが多い。「今更?」と思われてしまわないかという不安。

今日顔を出したコミュニティに関して、知人から「何で最近行ってないの?」と問われたらあれやこれや説明するし、実際いろんな理由が重なってはいるのだが、大きなところを占めるのは感染をなるべく避けたいから、感染しているかも、と思ってビクビクしたくないからである。感染リスクがあってでもその場所を必要としている人たちがいて、また維持するためには続ける必要があって、そういう思いで参加している人たちに上記のような話はできない。が、私の行動選択を間違っていると言われる所以もない。が、この行動選択自体、変に空気を読みすぎているというか、毒されている感がある。が、実際かからないにこしたことはなくて……みたいな堂々巡りで出口がない。

2022年12月25日

先週の金曜日、柏木ひなた私立恵比寿中学を卒業した。私はファンクラブ先行抽選で、運良くチケットを得ることができていた。会社には体調不良を申し出て、いつもより念入りに化粧をして、前日に買った小さめのボストンバッグと、肩掛け鞄を携え、家を出た。

席番があまりよくないことは事前に分かっていたので、駅の近くのヨドバシカメラに駆け込み、双眼鏡を買った。高くてもせいぜい4000円程度だと見積もっていたが、それより二回りくらい高かった。後悔はしたくなかったから、結構いいやつを買った。私はただの客なのに、一世一代の大勝負に挑む気持ちだった、本当に。

東京駅に降りたのが昼頃で、開演までには随分時間があったけど、他に行くあてもなかったからそのまま京葉線の乗り場に向かった。動く歩道の上をそわそわと進む。ツイステッドワンダーランドの大きな広告がずらりと連なっていて、オタクの友達のために動画でも撮るべきかと思いついた頃に終わった。

平日昼間の京葉線はとても心地の良い路線で、向かいの窓辺に流れる景色は都市を離れ住宅街へ、それから工場地帯へと移り変わる。その日はとても天気が良くて、郊外の景色がとても清潔に見えた。ジャンクションの放物線を見ると心が自由になる感じがする。乗客もそれほど多くなくて、エビ中のパーカーを着た人やメンカラコーデらしき服装の人がぽつぽつと増えていく。30分ほどで海浜幕張駅についた。

エビ中のライブ、というか、アイドルのライブに自ら足を運んだのは初めてのことだった。とりあえずペンライトとマフラータオル、双眼鏡も何とか準備したけれど、何となく不備がある気がしてならない。またボストンバッグの方もそのまま持ってきていたので、預ける場所が果たして残っているだろうかと不安になっていたが、いざ幕張メッセに着いてみればなんのことはない。開演4時間前のロッカールームは当然のごとくガラ空きで、拍子抜けした。また後からわかることだが、スタンディングが基本のロックバンドのライブと違って、それぞれ座席があるので、結構大きめの荷物を持ち込む人が少なからず見うけられた。

ロッカーに荷物を押し込んだ途端手持ち無沙汰になり、ひたすらあたりをぶらつく。4時間前とは言っても、グッズ等の購入者や待ち合わせの人々など、すでに多くの人がいた。私も物販でグッズを受け取る手筈になっていたが、指定時刻は2時間先で、暇だからBlu-rayを買ってみたり、その時にもらったスクラッチくじを削ったり、それでもっていくつかグッズをもらったり、そのグッズと一緒に写真を撮ったり、高揚感と冷静さの間を行ったり来たりしながら過ごした。周りにいる人々に素早く目線を走らせる。髪の毛を以前のひなたと同じに染めている人、グッズTシャツを着ている人、全身メンバーカラーの人、オレンジ色のインナー、靴下、ネイル。こんなにいたんだ、と思う。本当にいたんだ。そりゃそうか。

一瞬、デイリーヤマザキのおにぎりで済ませようかと考えたけど、ちょっとお腹が減っていたから駅のほうに戻り、ヴェローチェで小さめのピザを食べた。美味しかった気がする。何故なのか、もっと派手なアクセサリーとかつけてくれば良かったな、としきりに考えていた。ちょっとだけ周りのファンたちに圧倒されていたのかもしれない。もしくは、ついさっき受け取ってパラパラと読んだパンフレットのなかの、柏木ひなたのインタビューに、少々びっくりしていたからかもしれない。2020年の6月からエビ中を見つめてきたなかで、柏木ひなたはずっと、ちょっと天然なところも含めて完璧な人だった。心配のない人だと思っていた節があった。彼女が2021ちゅうおんの後に活動を休止すると聞いた時、また彼女の卒業発表に際するコメントを読んだ時、うまく飲み込めなくて、言い知れぬ不安におそわれた。インタビュー記事に書かれていることが全てだとは思わない。私に何ができたかといえば、別にない、何一つない。それでも、もっとちゃんと見ていたかったと思う。ちゃんと。

駅から再び幕張メッセの方に向かう頃には、ずいぶん日が暮れてきていた。空の色が赤から紫へとグラデーションになっていて、メンカラ全部揃ってるじゃん!と少しはしゃぎ、記念に写真を撮った。

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こうして見ると全然ピンとこない。何処が紫?でもその時はたしかにそう思ったのだ。重要なのはそこだけ。目に映るものがあれもこれも、エビ中からのメッセージに思えてくる、存在しない伏線がどんどん回収されていく。そういうのが楽しかった。とても。

ライブについては、もう書き始めるとキリがない。思い出すだけで胸が苦しい。「手をつなごう」で星名さんがステージに戻ってくる時、ひなたに向かって駆け寄って、勢い余って二人して倒れ込んでいたのとか、真山がひなたのチョーカーをなおしていたその表情とか、紅の詩の最後のしゃくりあげがみんな心なしかいつもより長かったのとか、そんなんあげてったらキリがない。ナガレボシでひなたが涙ぐんでいたのも、インタビューの内容と呼応してぎゅっとなったし、何より最後、マイクを通さずに一人一人ひなたと挨拶を交わす場面、この世で一番美しいものの一つを確かにみたのだった。

フレ!フレ!サイリウムのなかに、「あなたがいるから 私はここにいる」という歌詞がある。アイドルとしての「私」がステージで歌って踊っていられるのは、サイリウムを振る「あなた」、すなわちファンが応援してくれているから。素直に受け取ればそういう歌詞で、でもあの会場で聴いた時、ぶわ!と大きな波が押し寄せてきた。歩道橋から写真を撮った瞬間、エビ中がいなかったら、会社休んで、こんなところまで一人で来て、夕日の写真を撮ることなんてなかったなーと、ふと考えていたのだった。エビ中がいるから私はその会場にいて、さらに言えば、私が今立っている場所は、2020年の6月、初めてMUSICフェスの動画を見た、その延長線上にあり、エビ中がいなければ、今頃どんな景色を見ていたか、もう想像もつかない。別に、その世界線の自分もそれなりに元気にやってるんだろうけど。私はこっちの世界線でつくづくよかった。あなたがいるから私はここにいるのだと、伝わらないとわかっていて、それでも大きくペンライトを振った。

2022年12月11日

妹と一日出かけていた。途中、泉屋博古館の木島櫻谷展に立ち寄ったが、「暮雲」という屏風絵が素晴らしくて少しふるえた。むくむくと隆起する稜線の、いまにも蠕動しはじめそうな生命力。ちょっと竜の集会のようにも見える。山並みとは異なりあくまで写実的に描かれた松並木の、あらゆる光を吸い込みそうなマットな青色と、暮れる光の透明感とが対照的。「蓬莱瑞色」もよかった、というか全部絵がうますぎる。藤の枝を一筆で一気呵成に描いてみせる大胆さと葉の緻密な写実性、余白の美的感覚も兼ね備えていて、なんでもできるのかこの人は?と思わされる。思わず買った図録も力作で素晴らしい(本文用紙と別の紙に刷られた写生帖の複製が綴じ込まれている!)。行けて良かった。

2022年12月9日

亡くなった友人について思い出せることがあまりにも少ない。努めて思い出そうとすると毎回同じシーンが浮かび、年々ディテールが抜け落ちて、少しずつ早送りになっていく。当時はまったく写真を撮らなかったし、LINEもTwitterもしてなくて、よすがとなるような記録が全然残っていない。せめて言葉で繋ぎ止めたい、過去から未来への接木。しかしそれをするにはあまりにも時間が経ってしまった。私にとってこの6年は飛ぶように過ぎたが、そのわりにきちんと6年分の仕事を片付けていった。この私が卒業も就職もして、自ら稼いだ金でそれなりに遠くに行くことができるようになり、代わりに多くのことを思い出せなくなった(気づけば大人になってしまい…というよくある感傷が30パー、あとの七割は、スマホなどの使い過ぎか、留年前後のストレスか何かで記憶保持機能が低下しているのではないかという、極めて現実的な不安)。

今日は頼まれ仕事をしている時にわからないことが出てきて、「わからないんですがどうしたらいいですか」と一人に聞いたら、周りにいたいろんな人がいろんなことを言ってくるので、涙が出た。別に叱られたわけでも無いけれど。だから昼休みに焼きそばパンを食べて、ブランコを漕いで、元気になった。嬉しくなることも悲しくなることも昔とそう大差ない。私はずっと私のままなのに、身につけるものや関わる人や、具体的な記憶や知識など、あらゆる実際的なものがどんどん循環していく。それらがかつてそこにあったという気配だけを残していく。放課後、ちょっと滑舌が悪いけど気のいい先生に一緒に数学を教わりに行ったことや、口を大きく開ける笑い方や、よく描いていた落書きの絵などが、超軽量なデータに変換されていくのが嫌だ。かといって、変なセンチメンタルにもしたくないのだ。友達だったその時から私はその人をちょっと特別視しすぎるきらいがあり、会えなくなった卒業後にはますます加速した。死んだ後になってようやく、しくじったなあと思った。もったいぶらずに普通に声かけて、むりにでも会いに行けばよかったなあと思った。それか、同じソシャゲとかTwitterとか、始めたらよかった。普通に友達だったその感じを、そのまま全部思い出したいけど、難しい。

ただ、今になってようやく、平坦な気持ちで思い出せそうな気もするのだ。「早くに死んだ友達」というパッケージを剥ぎ取って、ただのその人として思い出せる準備がやっとできたのだという気がする。正直にいえば、その人をなにか、「糧」にしようと試みた私がいたことを認めなければならない。「「特別な人」を失った自分」にうっすら酔いかけていたのは事実だ。同時にものすごくおぞましいことだとも思っていた。長らくどちらにも向き合うことができなくて、狭間でぐるぐると唸っていたが、そんな葛藤も、やっぱり忘れちゃった。

今はさっぱりしたもので、何週間か、何ヶ月かに一回思い出す。あーあいつは死んでたなと、もう会えないのは嫌だなと、それだけ思う。痛みも小さい。誰だって遅かれ早かれ死んじゃうわけだし、にしてもちょっと早すぎたな、とは思う。会いたくても会えなくて、ときたまひょいと夢に出てくるその人の解像度がどんどん粗くなっていくのは寂しい(ドット絵の画風が妙に似合いそうではある)。あの頃あなたと喋ることが、じゃれ合うことが、信じられないくらい楽しかったはずだ。思い出したい。

2022年12月3日

いいなと思って買ったはずなのにどうにもつまらなくみえる。作っていたものが出来上がった瞬間に興味がなくなる。何を見ても、読んでも、聞いても、それが面白いことはわかるけど、つき動かされる感じがない。楽しくない。不安なので延々インプットし続けて、それでもずっと楽しくない。どうしたらよいのかよくわからないが、情報を詰め込みすぎているのかも、とはなんとなく思う。脳みそか心に穴が空いていて、注ぎ込んだものがどんどん漏れていって、何も覚えていられない。感動がない。元来何にでも感極まってしまう性質で、心は動いてなくても体が勝手にそういう身振りをする。外に対してアピールしようとする。私はこんなに感受性が豊かですよ!素晴らしいものの素晴らしさを知っていますよ!ちぐはぐさが日に日に肥大していく。具体的に何か困っているというわけではないが、結構きつい。それに関係あるのかはわからないが、複雑なことを考えられなくなっている気がする。人の言葉を額面通りに受け取ることはできるから、これにかんしても仕事や日常生活で困っていることはないが、どんどん自分が空っぽになっていく気がする。それとやはり兎に角忘れっぽい。見た映画、聞いた音楽、読んだ本、友達との会話、全部同じ情報として処理されて、新しいインプットに押されて次々流れていく。あとすごく言葉が出にくい。こないだ東日本大震災が思い出せなかった。もの忘れ外来にでも行った方がいいのだろうか。不安。

最近調子の良かった日を思い出す。先週の日曜はすごく天気が良くて、吉田山にのぼって、てっぺんにある公園で友達が録ったラジオを聞いた。あの日はなんか、頭の働きもいい感じだったと思う。散歩をしたのも良かったし、何度も同じラジオを聞き直すということも良かった。なんかやっぱり過剰なんだと思うな。わからん。良くなりたいと思うからたくさん詰め込むのだが、私のおつむがそれらを短時間でさばいていけるほど成熟していないのだ。ものが満足に考えられない、感動がないというのは怖い。誰かに治してほしい。こうすればよくなるよって手取り足取り教えて、よくなるまで見ていてほしいのに。

 

 

などと思い詰めるのは、画面の前から動けないまま一日終わったような日で、漠然とした自己嫌悪のせいで頭が麻痺してしまうのだと思う。