2022年12月9日

亡くなった友人について思い出せることがあまりにも少ない。努めて思い出そうとすると毎回同じシーンが浮かび、年々ディテールが抜け落ちて、少しずつ早送りになっていく。当時はまったく写真を撮らなかったし、LINEもTwitterもしてなくて、よすがとなるような記録が全然残っていない。せめて言葉で繋ぎ止めたい、過去から未来への接木。しかしそれをするにはあまりにも時間が経ってしまった。私にとってこの6年は飛ぶように過ぎたが、そのわりにきちんと6年分の仕事を片付けていった。この私が卒業も就職もして、自ら稼いだ金でそれなりに遠くに行くことができるようになり、代わりに多くのことを思い出せなくなった(気づけば大人になってしまい…というよくある感傷が30パー、あとの七割は、スマホなどの使い過ぎか、留年前後のストレスか何かで記憶保持機能が低下しているのではないかという、極めて現実的な不安)。

今日は頼まれ仕事をしている時にわからないことが出てきて、「わからないんですがどうしたらいいですか」と一人に聞いたら、周りにいたいろんな人がいろんなことを言ってくるので、涙が出た。別に叱られたわけでも無いけれど。だから昼休みに焼きそばパンを食べて、ブランコを漕いで、元気になった。嬉しくなることも悲しくなることも昔とそう大差ない。私はずっと私のままなのに、身につけるものや関わる人や、具体的な記憶や知識など、あらゆる実際的なものがどんどん循環していく。それらがかつてそこにあったという気配だけを残していく。放課後、ちょっと滑舌が悪いけど気のいい先生に一緒に数学を教わりに行ったことや、口を大きく開ける笑い方や、よく描いていた落書きの絵などが、超軽量なデータに変換されていくのが嫌だ。かといって、変なセンチメンタルにもしたくないのだ。友達だったその時から私はその人をちょっと特別視しすぎるきらいがあり、会えなくなった卒業後にはますます加速した。死んだ後になってようやく、しくじったなあと思った。もったいぶらずに普通に声かけて、むりにでも会いに行けばよかったなあと思った。それか、同じソシャゲとかTwitterとか、始めたらよかった。普通に友達だったその感じを、そのまま全部思い出したいけど、難しい。

ただ、今になってようやく、平坦な気持ちで思い出せそうな気もするのだ。「早くに死んだ友達」というパッケージを剥ぎ取って、ただのその人として思い出せる準備がやっとできたのだという気がする。正直にいえば、その人をなにか、「糧」にしようと試みた私がいたことを認めなければならない。「「特別な人」を失った自分」にうっすら酔いかけていたのは事実だ。同時にものすごくおぞましいことだとも思っていた。長らくどちらにも向き合うことができなくて、狭間でぐるぐると唸っていたが、そんな葛藤も、やっぱり忘れちゃった。

今はさっぱりしたもので、何週間か、何ヶ月かに一回思い出す。あーあいつは死んでたなと、もう会えないのは嫌だなと、それだけ思う。痛みも小さい。誰だって遅かれ早かれ死んじゃうわけだし、にしてもちょっと早すぎたな、とは思う。会いたくても会えなくて、ときたまひょいと夢に出てくるその人の解像度がどんどん粗くなっていくのは寂しい(ドット絵の画風が妙に似合いそうではある)。あの頃あなたと喋ることが、じゃれ合うことが、信じられないくらい楽しかったはずだ。思い出したい。